6-2 遊行寺坂の松並木
2014-05-04


<目次(リンク)>
 1.遊行寺の門前町 藤沢宿へ
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 2.遊行寺坂の松並木
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 3.到着、藤沢宿
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2.遊行寺坂の松並木
 原宿の一里塚に着いた二人は、反対側にある浅間神社でしばしの休息をとった。立派な椎の木を見た後、藤沢宿を目指して再び歩き始めた。少し進むと、向かって左側に「青面金剛像」があり、その反対側には大運寺がある。
【き】「青面金剛像と書いてあるぞ。」
【お】「そばには、西国順礼供養塔もあるなぁ。」
【き】「供養塔があるということは、ここいらで何かあったんかな・・・。」
【お】「何かって?」
【き】「それがわかりゃ、苦労しないってーの。」
 ここまでは、国道の割には比較的史跡の多い区間であった。ここから先はしばらく史跡のない区間が続く。ひたすら歩くことが苦手なきんのじにとっては、やや退屈な区間である。青面金剛像を後にしばらく歩くと原宿の交差点がある。茶屋があったのはこのあたりと考えられる。現在は住宅地が続き、交通量の多い国道1号線が横切っている。
 さて、原宿の交差点を過ぎてしばらく歩くと、向かって左側に松が植わっている。これが名残の松である。その近くには石仏群がひっそりと佇んている。
【き】「大きな松があるぞ。」
【お】「名残の松かね。」
【き】「江戸時代からずっとあったのだろうか。」
【お】「この木はさすがに江戸時代からのものではないだろうけど、ここにも松並木があったのだろうね。」
【き】「今は車の往来する道だけど、江戸時代は松に囲まれた気持ちの良い道であったのだろうな。」
【お】「ん、あそこに石仏らしきものがあるぞ。」
【き】「どれどれ、おお、石仏群だ。ずいぶんと古そうな感じがするなぁ。」
【お】「国道として拡張されても残されたのは良いことだね。」
【き】「まさにあっぱれ。」
石仏群の先には、道祖神と馬頭観音像が建っていた。立派な囲いの中に立っているが、だいぶ傷んでいるようにも見える。村の厄除けと旅人の安全を願うものとして建てられた。
【お】「今度は馬頭観音と道祖神があるぞ。」
【き】「おお、史跡が多いな。ああ、忙しい忙しい。」
そう言いながら、きんのじはせこせこと歩きまわっていた。
【お】「おいおい、そんなに忙しいことはないだろう。落ち着いて見よう。」
【き】「そうですなぁ。」
【お】「この馬頭観音。文化八年(1811年)と刻まれているよ。古いね。」
【き】「江戸時代の頃より、旅人を見守り続けてきたというわけか。」
【お】「さて、先へ進もうか。」
馬頭観音を後にした旅人は、再び国道1号線の歩道を歩いた。わずかに史跡のない区間はあったものの、国道の割には史跡の多い道筋に、おさべえが心配したほどきんのじの愚痴はなかった。むしろ、史跡が頻繁に出てくることから、あたふたしているきんのじが笑えた。おさべえ自身も、史跡を写真に記録することが多く、案外楽しい道筋であった。

 馬頭観音の先には影取町の交差点があり、このあたりから東俣野町に入る。やがて左側に斜めに分岐する道が現れる。東海道はここを左に分岐し、しばらく国道1号線と並走する形となる。途中には大蛇の言い伝えが残る諏訪神社がある。その昔、社の裏に大蛇が棲む池があり、池に映る旅人の影を取って喰らったという。交差点名にあった影取町の名前は、ここからきているという。
【き】「神社があるぞ。」
【お】「諏訪神社だね。」
【き】「ということは、信州にある諏訪大社の分社ということになるな。」
【お】「まあね。」
【き】「お、境内には立派なクスノキがあるぞ。」
【お】「本当だ。立派なクスノキだな。」

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[【読み物】なりきり弥次喜多道中]

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